関連のない賞罰への考察

息子が数日ゲームをやってませんでした。
すると、昨日お風呂の中で
「なんでゲームしないかわかる?」
と、訊かれました。
「ボクがお母さんを怒らせたでしょ?それで、お父さんが『1週間ゲーム禁止』って言ったの」

そう。心当たりがありました。確かに数日前、息子に傷つくようなことを言われて悲しくて怒っていたのでした。

主人の優しさは、わかっているつもりです。
お母さんを傷つけた罰だ!とでも言ってくれたのでしょう。

学校でも
宿題を忘れたから、遅刻したからなどで、
グランド何周!なんて話もきいたりします。
昔ほど…ではありませんが。

友人のご主人は漢字が書けなかったら、公園で走って来い!という出来事があったと聞きました。

走ったら、漢字ができるようになるのかな?

何か問題行動(のように見える)ことを起こした時、そのことについて全く関連性のない賞罰に違和感を感じます。

私は自身は、ただ「ごめんね」って言ってもらうだけでよかったと思ってます。

より良く生きたい私とあなたの  アドラーの「あ」

「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである」 アルフレッド・アドラー 何のために生きているか? 時に人は迷うものです。 それも、シンプルに考えれば 目的は「幸せに生きること」 幸せな人生のためにアドラー心理学を "あいうえお"「あ」の字から知り、 アドラー心理学実践していくと決める。 そんな想いを込めた アドラーの「あ」です。

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