枯渇する愛
「なんかうまくいかない…」
そう思って2ヶ月が経ちました。
仕事も、「やらねば」のことに
追われて、淡々とこなす日々。
家族との関係も、どうにもできない諦めの波の中で砕け散っていきました。
「やらねば」に自分の「想い」が遥か遠くに置き去りにされ、私は1年間準備していたことを台無しにしました。ただ愛おしい者たちを感じたかった。だけど、その時間は、機械的に過ぎ去ってしまった。
そして私は気づくのです。
自分の中の「枯渇した愛」に。
人を、場所を、時間を、何より自分を、愛しく想うことが出来なくなっていた。
淡々と、ことを進めることは誰にでもできます。でも、私にはそれを「何故やるのか?」がいつも必要でした。
それが、ずっと自分の中でのアドラー心理学の「目的論」としての「私の想い」でした。
行動+想い
ここを忘れると、ふっと足元をすくわれる。
そんな風に気づいた2023年5月がやっと終わる。
明日から私は「枯渇した愛」を取り戻す。
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