枯渇する愛

「なんかうまくいかない…」
そう思って2ヶ月が経ちました。

仕事も、「やらねば」のことに
追われて、淡々とこなす日々。
家族との関係も、どうにもできない諦めの波の中で砕け散っていきました。

「やらねば」に自分の「想い」が遥か遠くに置き去りにされ、私は1年間準備していたことを台無しにしました。ただ愛おしい者たちを感じたかった。だけど、その時間は、機械的に過ぎ去ってしまった。

そして私は気づくのです。
自分の中の「枯渇した愛」に。
人を、場所を、時間を、何より自分を、愛しく想うことが出来なくなっていた。

淡々と、ことを進めることは誰にでもできます。でも、私にはそれを「何故やるのか?」がいつも必要でした。

それが、ずっと自分の中でのアドラー心理学の「目的論」としての「私の想い」でした。

行動+想い
ここを忘れると、ふっと足元をすくわれる。
そんな風に気づいた2023年5月がやっと終わる。


明日から私は「枯渇した愛」を取り戻す。

より良く生きたい私とあなたの  アドラーの「あ」

「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである」 アルフレッド・アドラー 何のために生きているか? 時に人は迷うものです。 それも、シンプルに考えれば 目的は「幸せに生きること」 幸せな人生のためにアドラー心理学を "あいうえお"「あ」の字から知り、 アドラー心理学実践していくと決める。 そんな想いを込めた アドラーの「あ」です。

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