脱・ワクワク理論

やりたいこと、チャレンジしたいことがたくさんあった40代が終わろうとしています。

実際たくさんのチャレンジとやりたいことを実現してきました。

たくさん失敗し、たくさん成功しました。ビバ40代です!


何かをやりたい!と思うことをやるのに、私にとっては

「ワクワクすること」が必要だと思っていました。

ワクワクが次の行動への原動力になっていました。

「これが実現できたら最高!」

「もし成功したら絶対楽しいじゃん!」

ワクワクを理由にして、とにかくやれたことが多かったのです。


ところが、最近はその”ワクワク”に疑いを持ち始めました。

果たして、私はワクワクしないことはやらないのだろうか?と


その事実を目の前に出してみると、そんなことはなくて、

全くワクワクしなくてもやってることだってあった。しかも

「結果、やってよかった!ワクワクしながらできた!」

「結果、周りは楽しそうだけど、私は全然楽しくもワクワクもしなかった。」

というような事柄もあったな、と振り返ると出てくるのです。


では、なぜ人は何かをやるのでしょう?行動するのでしょう?


行動には

  • やらなきゃいけないこと
  • やった方がいいこと
  • やりたいこと

がある。でも明確にこれらを分けることはできないではないかとも思う。

やらなきゃいけないことの中には、やりたくもないのにやる行動があり、

やった方がいいことにもそれはある。

やった方がいいことには、やったら自分にすごくいい影響があるかもしれない

可能性も含んでいるから、やってみるか!となることもある。

さらに厄介なのは、やりたいことなのに、できないとなる場合もある。


厄介・・・厄介・・・とにかく人間とは、厄介な生き物である。


今、これらに全て”ワクワク”をくっつければできるでしょ?

という『ワクワク理論』に物申したいのである。


つまり「ワクワクしなくてもやれる」ようになるにはどうしたらいい?

と問いたい。


正直な話、50歳になる私にとって、常にワクワクし続けて行動するなんて

想像するだけで疲れてくるのである。ワクワクは、たまにできればいいやって。


考えてみたら、やらなきゃいけないこと、やった方がいいこと、

やりたいこと全てに含まれているものがあるのをご存知でしょうか?それは

「やりたくないこと」

です。あんなに「やりたい!」と思っていたことの中にも必ず、

面倒で、初めてで、わからなくて、大金を出さなきゃいけなくて、

苦手で、時間もかかって・・・というような

「やりたくないこと」

が必ず1つは入ってくるということ。それらを考えているだけで、

ワクワクがふっ飛んでいく事柄。


それでも、私たちは何かを行動してきたからこそ今があるはず。


脱・ワクワク理論の私の結論は

淡々と粛々とやること、である。

その先に小さな世界の変化があることを信じて。

より良く生きたい私とあなたの  アドラーの「あ」

「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである」 アルフレッド・アドラー 何のために生きているか? 時に人は迷うものです。 それも、シンプルに考えれば 目的は「幸せに生きること」 幸せな人生のためにアドラー心理学を "あいうえお"「あ」の字から知り、 アドラー心理学実践していくと決める。 そんな想いを込めた アドラーの「あ」です。

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