善意も悪意もない ただ愛があるだけ


物事を善か悪かで捉える人もいますが、

究極的な話になりますが、
どんな悪も自分にとっては

「善」

だということから始まるのだなと

この歳になって感じるようになってきました。


では、自分の仕事は善意なのか悪意なのか?

善意とは…他人に対して親切にすること
悪意とは…他人に対して害のあることと理解して行動すること

もちろん悪意はない。でも善意もない。

親切心でアドラー心理学を教えてあげるとか、コーチとして話をきいてあげるとかそういうことではない。


そこには愛があるだけ。

ただ私が関わった人が幸せであること。

誰一人同じでない人生が大小関係なく
輝くこと。


大人も子どもも、愛し愛されて生きること。


それを善意を持ってしているとか
悪意を持ってしているというのは
見てくださってるあなたが決めること
だと思う。

「私は善意でやっています」

とは言わないでしょう。

ただ、愛はあります。
行動として突き放すことがあっても愛はあり、共感することも、共感しないことも、愛を持って、どちらもしていこうと思うのです。


より良く生きたい私とあなたの  アドラーの「あ」

「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである」 アルフレッド・アドラー 何のために生きているか? 時に人は迷うものです。 それも、シンプルに考えれば 目的は「幸せに生きること」 幸せな人生のためにアドラー心理学を "あいうえお"「あ」の字から知り、 アドラー心理学実践していくと決める。 そんな想いを込めた アドラーの「あ」です。

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