なぜ、私は死なないのか?

父が亡くなってからまだ2週間しか経っていないことに自分で驚く。

父が目の前で息を引き取った時から、おもむろに浮かぶのは「なぜ父は死んだのに、私は生きているんだろう?」ということだった。

私は父を大好きとは言えなかった。むしろ好きではなかった方だし、尊敬もしていなかった。

それでも、父は私が生まれた「原点」だった。父無くして、私は存在しないのだから。

それなのに、父が亡くなっても、私は生きていた。単純に「なんで私は死なないんだよ」という言葉が頭に浮かんだ。

原点を失い、私は一瞬空っぽになった。
これが世に言う「心に穴が空いた」ということだろうか?

そんな空っぽの私の中に、怒涛のように押し寄せる日常が自分の意思とは関係なく詰め込まれていった。

そこに心なんてない。だけど、不思議なもので無い心を必死に探す自分がちゃんといて、父の死とは全く関係ないことに心を使うようになる。

そうか、こうやって人は、身近な人が死んだとしても何とか生きていこうとするんだな、と身を持って知ることになった。

そして、やっと父が亡くなったことを思い出すことができた時、私は一晩中夢の中で泣いていた。

泣けなかった私に、泣くことを許可したかのように。


より良く生きたい私とあなたの  アドラーの「あ」

「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである」 アルフレッド・アドラー 何のために生きているか? 時に人は迷うものです。 それも、シンプルに考えれば 目的は「幸せに生きること」 幸せな人生のためにアドラー心理学を "あいうえお"「あ」の字から知り、 アドラー心理学実践していくと決める。 そんな想いを込めた アドラーの「あ」です。

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