選択肢が多すぎる②
食品もさることながら、近年驚いたのが進学する高校の多さと学ぶことの多様化だ。
不登校だった娘が、高校進学を考えた時、公立も私立も見学に行った。さらに通信制高校も視野に入ってきた。当時、あの、ローマ字1文字の某学校しか知らなかった私が娘と一緒に一番最初に見学に行ったのも、その某学校。
正直、何となく不登校だった子が通いやすい学校だからと、親の私は思っていた。
しかしながら、説明された内容もなかなかいい。私が学びたいくらいだった。
「ここでいいかね?」なんて私が言っていたら、当の娘は頷かなかった。
そこから別の通信制高校を探し始めたのだ。
父と通信制高校の合同説明会に参加してきた。
そこでもらったパンフレットの分厚いこと・・・
「こんなにあるの??」
個性的な(魅力的な?)学校がたくさんあった。専門学校のようにピンポイントで学べるところも多い。さらにネットで調べると、もっともっと出てくる。
ああ・・・多すぎる・・・
子どもの選択肢が多くて、いいではないか?
と言う人も多いとは思うが、その中から「子どものピッタリ」の学校を選ぶのは本当に至難の業だ。子どもが「これがやりたいんだ」があれば、きっと決まる。(娘も韓国語がやりたくて早めに自分で見つけてきた)
でも、やりたいことがあるとか、勉強したいという意欲がある子は結構稀だと思うと、何となくこれなら行けそうとか、とりあえずチャレンジしてみるかという半ば博打みたいなところも出てくるのではないかと考える。(それがいい悪いではない)
そして、起こる「やっぱりここじゃなかった」
娘の学校でも来なくなった子はやはりいた。その後違う学校、学科に移動したのだろうか?
もし、合わなかったのしても次の学校に転入することができるのも、選択肢が多いおかげだとも言える。だけど、何を思っているかというと、「多様な子がいるのだから多様な学校を増やせばいいじゃないか?」と言う、半ば”数打ちゃ当たる”ってとこに大人が陥ってないだろうかという疑問だ。
もっと小学校・中学校の時点で子どもたちが、これからたくさんある人生の選択肢の中で「自分で選んでいく」と言う体験をさせることができないだろうか?と思う。急に、「はい、高校はご自由にお選びください」と言われても、それまで「はい、同じことします。選択の余地はありません」じゃ、子どもの気持ちは宙ぶらりんになるのは想像に難くない。
選択肢が多い、のなら「選択していく力」が必要なんだけど、選択することが「もうこれでいいや」と軽く考えられたり、そもそも自分で選択できない、したくないということになってしまうことにも気づいていかないと、子どもたちにとって「本当に大切なこと」が見逃されていく気がしている。
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