人間関係において"かもしれない"から抜け出す

ヨシタケシンスケさんの「りんごかもしれない」は"りんごじゃないならなんだろう?"という考えから生まれたそうです。

人はとかく人間関係において「あの人にこう思われてるかもしれない」「私とあの人は合わないかもしれない」と"かもしれない"に囚われて悩みを深くすることがあります。

では「そうじゃないとしたら?」

アドラー心理学には認知論というのがあります。「人は自分の主観でものごとを見て、その意味づけもしている」というものです。

あなたの見てる世界はその他大勢が見てる世界とは違うし、意味づけもそれぞれ違うのです。

今日、空を見上げて、あなたは何を見るのでしょう。
青い空?白い雲?一羽の鳥?
何を見るかは、あなたが決めていて、それすらも「違うものを見よう!」と決めると、その先の宇宙ですら見えるようになるのです。

"かもしれない"から抜け出したいなら、直接相手に確かめる、自分の見方を変える。いずれにせよ、あなたから始めるのをお勧めします。

より良く生きたい私とあなたの  アドラーの「あ」

「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである」 アルフレッド・アドラー 何のために生きているか? 時に人は迷うものです。 それも、シンプルに考えれば 目的は「幸せに生きること」 幸せな人生のためにアドラー心理学を "あいうえお"「あ」の字から知り、 アドラー心理学実践していくと決める。 そんな想いを込めた アドラーの「あ」です。

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